Destructured
Yutaka Yamauchi

Art

デザインの「まなざし」

先日、ブログで書いた「まなざし」のあるデザインについて、説明が混乱しほとんど理解されなかったようですので、もう一度トライしたいと思います。... その場に他者の視線がなくても、自分の価値を呈示し、証明していくという弁証法的な過程はあると思います。... デザインされたものには、実際に「眼」はなくても、「まなざし」があるということです。「眼」で見ること(look)は見る主体(subject)に所属しますが、「まなざし (gaze)」は客体(object)にあります。この「まなざし」は、人々の欲望に結び付き、価値の源泉となるのです。 Read More…

見ること、見られること、見つめること

デザインセミナー「アートシンキング」での森村泰昌さんとの対談のふりかえり4本目です。本来は1ヶ月以上前に出しておかなければならないところですが、どうしても自分の考えがまとまりませんでした。セミナーは終ってしまいました。森村さんは、私のサービスの闘争が、見る・見られるという関係の相克としてのまなざししか考慮しておらず、「見つめる」という優しいまなざしの可能性はないのかと問いました。森村さんによると、この「見つめる」はバードウォッチングのように純粋なまなざし、あるいは恋人同士の充溢したまなざしのようなものだと示唆しています。その場ではどう答えていいのかわかりませんでしたし、今でも整理がついていません。全く自信はないのですが、何か書いてみたいと思います。 Read More…

美の政治と批判

デザインセミナー「アートシンキング」における美術家の森村泰昌さんとの対談シリーズ第3弾です。「美」における批判および政治性について議論しました。これは批判とは何か、政治とは何かについての示唆があります。芸術はおおむね社会批判ですが、わかりやすい直接的な批判をする場合があります。例えば、人々に問題の解決を促すものや誰かを告発するものです。私はこのような政治的な批判をアートとすることについては違和感を感じていますが、森村さんも同様の感覚を持たれているように思いました。これはソーシャリー・エンゲージド・アート(SEA)に関連しているかもしれません。SEAとは... Read More…

アートにおける「わたし」

先日の美術家の森村泰昌さんとの対談の続きです。前回の「美」についての話しの中でも出てきた、「わたし」ということを考えたいと思います。森村さんの作品はセルフポートレートですので、御自身が写っている写真が中心となります。過去の芸術作品、女優、歴史上の人物が題材になり、それらをセルフポートレートで再現されます(例えば、自分がゴッホになる、モナリザになる)。この芸術の形式のおもしろさはどこにあるのでしょうか? この形式は、作者が直接的に写し込まれることにより、様々な効果を生み出します。セルフポートレートは、むしろ自分を震い立たせて、自分をさらして、外に連れ出すような動きなのです。過去の作品を身にまとうことによって自分を外に連れ出しているとも言えます... Read More…

「美」とは

11月20日のデザインセミナー「アートシンキング」で、モリムラ@ミュージアムにお邪魔し、美術家の森村泰昌さんと対談させていただきました。森村さんは、自分がゴッホやモナリザになるというような形で、セルフポートレート写真で著名です。森村さんのアートにおいては、「美」を意識されています。現代アートが、感性的な美しさを求めなくなった事情からすると、この「美」の背景には重要な視座があると思います。1995年に書かれた『美術の解剖学講義』で、森村さんは「美」を定義されています… Read More…

アートは役に立たないから役に立つ

アートシンキングがビジネスにおいて注目を集めていて、我々もアートシンキングのセミナーを実施します。しかしアートとビジネスの関係がわかりにくいとフィードバックを受けたので、説明したいと思います。アーティストは「アートは役に立たない」と言うでしょう。しかしながら、アートと社会、あるいはアートと資本主義は無関係ということではなく、複雑に絡んでいます。結論から言うと「アートは役に立たないからこそ役に立つ」ということです。アートシンキングと言うと... Read More…

人間中心を乗り越えて

11月20日からのアートシンキングのデザインセミナーでは、「文化のデザイン」を掲げています。文化のデザインは、マクドナルドやスターバックスなどの時代を画すようなデザインが、どのように生まれたのかという疑問に対する答えでもあります。私なりの答えは、文化をデザインしたからということです。... 使いやすいもの、ポジティブな体験、輝かしい未来などを作り出すことを目指す人間中心の考え方では、ひとつの文化を作り出すようなデザインは想定されていませんし、そもそも目指している方向性が違います... Read More…

歴史のあるデザイン

来月のデザインセミナー「アートシンキング」についてもう少し説明したいと思います。前回はアートシンキングがデザイン思考の限界を乗り越える可能性を持っている(がおそらく失敗する)ことを説明しました。デザイン思考のもう一つの限界は、創造性を革新的な「アイデア」に還元したことです。アイデアを客体として捉え、そしてそれを生み出す主体と分離しています。主体がパズルのようにアイデアを取り扱うイメージです。つまり主客二元論の前提に立っています。本来デザイン思考はこの主客二元論を乗り越えるために提案されてきたものですが、結局乗り越えることができなかったということです。アイデアに還元するということは、そのデザインには「歴史」がないということです。つまり... Read More…

なぜアートシンキングか

デザインセミナー「アートシンキング」を実施します。受講生募集中です。なぜアートなのか、どういう意味でアートなのかと疑問に思われている方が多いと思いますので、何回かに分けて補足したいと思います。...デザイン思考の限界が議論されていますが、その原因のひとつは「エステティック」を排除したことだと思います。エステティックは感覚的な美しさのようなものに関わる概念と捉えられていました。従来の意味でのデザイン、つまりプロダクトやグラフィックなどのデザインでは、この美しさは重要な要素であったと思います。一方で、デザイン思考は... Read More…

デザインのエステティック

海老田大五朗. (2020). デザインから考える障害者福祉 ―ミシンと砂時計―. ラグーナ出版.

障害者福祉におけるデザインに関するこの本を読みました。障害者のためにデザインするという話しを聞くと、それがどれだけ素晴しい取り組みであっても、どうしても上から目線であることに違和感を覚えます。これは障害者に関わらず、他者が生活し仕事をする環境をデザインするというときに、デザイナーが直面する問題です。だから、最近ではデザイナーは一方的にデザインすることはできないし、そうするべきではないという言説がよく聞かれます。誰でもデザイナーだと言うわけです... これらの言説は、デザインの中にある矛盾を消し去ろうとする身振りであり、欺瞞であると言えます。この本は、この問題を考えさせるひとつのヒントを与えてくれました...
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サービスの価値、そしてアート

先日のサービス学会の緊急コラムで書きましたが、少し補足が必要だと思いました。コラムで次のように書きました。ちょっと唐突だったかもしれません。

サービス提供者は,自身が提供する毎に支払いを受け金銭に交換する枠組みからも自由になりつつある.等価交換は社会的関係を負債の残らない形で一回限りで終えてしまう枠組みであり,サービスという関係性の領域においては必然的なものではない.サービスの価値と支払いの関係を創造的に多様化する仕組みを考える余地がある.SNSでレシピを公開しても直接的な収入にはならないが,それはサービスの多様な接点のひとつとして価値につながっていく.前売り券を発行すること,クラウドファンディングで返礼として将来の飲食券を発行することも,興味深いひとつの試みである.また,様々な店が医療機関に弁当を無償で提供している.それぞれの経営が苦しい時に,自分も参加して何か貢献したいという方が多いという.これらはサービスの価値とは無関係ではない…

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真実を伝えるメディアのデザイン

学部ゼミの活動で、後期から「真実を伝えるメディアをデザインする」を始めています。テレビや新聞などの現在のメインストリームのメディアはどうしても真実(広い意味で)を伝えるということができません。真実を真実だと言って伝えると信憑性がなくなる時代ですが、特にメインストリームのメディアは真実を真実らしく伝えるしかないように思います。そこで越前屋俵太さんと一緒に、そういうメディアの可能性を探っています。俵太さんが30年弱前に…


hyota

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