Destructured
Yutaka Yamauchi

サービスの価値、そしてアート

先日のサービス学会の緊急コラムで書きましたが、少し補足が必要だと思いました。コラムで次のように書きました。ちょっと唐突だったかもしれません。

サービス提供者は,自身が提供する毎に支払いを受け金銭に交換する枠組みからも自由になりつつある.等価交換は社会的関係を負債の残らない形で一回限りで終えてしまう枠組みであり,サービスという関係性の領域においては必然的なものではない.サービスの価値と支払いの関係を創造的に多様化する仕組みを考える余地がある.SNSでレシピを公開しても直接的な収入にはならないが,それはサービスの多様な接点のひとつとして価値につながっていく.前売り券を発行すること,クラウドファンディングで返礼として将来の飲食券を発行することも,興味深いひとつの試みである.また,様々な店が医療機関に弁当を無償で提供している.それぞれの経営が苦しい時に,自分も参加して何か貢献したいという方が多いという.これらはサービスの価値とは無関係ではない.



サービスに限らず現在のビジネスにおいて、客からの支払いというリターンを得ることは、単にいいものを提供するから相応のリターンを得るという単純なものではありません。何らかの本質的な価値があるから、その価値を提示し、見当った対価を得るという枠組みは成立しなくなっています。この枠組みから自由になるということは、経営者にとっては恐しいことですが、だからこそ考えなければなりません。

以前バンクシーが自身の絵が落札された瞬間に、シュレッダーで破壊したことがニュースになりました。
こちらをご覧ください。これはアートの典型的な資本主義批判だと言えば説明がつきます。しかし、バンクシーはそれ以上の批判をしています。この批判自体がパフォーマンスとしてなされています。なぜなら事前にシュレッダーを仕込むところの映像を公開したからです(自分がリモートでスイッチを入れるシーンもあります)。どういうことでしょうか? このパフォーマンスによって、この破壊された絵画の価値はさらに高まったはずです。資本主義批判として破壊されたからこそ価値が高くなったと言っていいでしょう。つまり、バンクシーは資本主義を批判することで、資本主義において成功して見せたのです(以前書きましたが、村上隆さんのルイヴィトンの話しも同様です)。絵だけではなく、事前に仕掛けをして、映像を公開することも含めてアートなのです。

これはパフォーマティヴィティとしての批判です。つまり外から批判したのではなく、内側から資本主義の限界を示し、アートの批判を遂行(perform)して見せたのです。資本主義を批判してアートの価値が高まることは昔からあることです。バンクシーはそのような批判が資本主義に回収されたことを見て、さらに二重の批判をしているのです(破壊されるのを見て呆然としている人々を笑っているのです)。ちなみに、バンクシーは最近コロナ禍で医療従事者を称える絵を寄贈しましたが、これも天才的な批判です(
こちらに詳しい説明があります)。ニュースでは医療従事者を称える絵を寄贈しました素晴しいですねと取り上げられていましたが、この絵はあきらかに医療従事者をヒーローに仕立てて使い捨てにしていく社会(つまり我々自身)、そして特にメディアを批判しているのです。素晴しいですねと言っているメディア自身を批判しているという天才的なアートです。

現在のビジネスでは、このように自己破壊をすることが価値になっています。
REIという米国のアウトドア用品チェーンは、、ブラックフライデーに全米の店を閉めるようになりました。ブラックフライデーというのは、一年のうちで最もショッピングが活性化する商売上非常に重要な日です。この日に店を閉めて、従業員もお客さんも買い物なんてせず、アウトドアしようよと呼び掛けたのです。これは商売を放棄する自己破壊です。しかし、これによって、REIのブランド価値は一気に高まります。特に、エリート層にとってはREIが神聖化した瞬間でしょう。もちろん、これを単なるパフォーマンスとして意図的にやっているわけではありません。自己破壊はそのように計算してできるものではありません。本気でそれに取り組むからこそ、意味があるわけです。

さて、コロナ禍において、多くの事業が厳しい状況にさらされています。その中で、資金繰りが厳しいので助けて欲しいとクラウドファンディングするところもあり、消費者も何かできればと協力します。テイクアウトを始めました、是非買ってくださいという店も多いです。一方で、この苦しい状況にも関わらず、他の人のために仕事をしたいという方が多くおられます。無料でコーヒーを配っている店もあります。感染拡大を防ぐために自らの責任感から自主的に店を閉めている方もいます。医療従事者のために弁当を無料で送っている料理屋さんもあります。これはある種の自己破壊です。そして、だからこそ、これらのサービスが逆に大きな価値を持つようになります。クラウドファンディングで支援を求めることが悪いと言っているのではありません(私も支援しています)。自粛にともなって、また雇用を守るためにも、政府の保障も含めて支援していかなければなりませんし、支援を求めていかなければなりません。ただ、価値の逆説的な性質を理解しなければならないということです。

経営者はこの価値のパフォーマティヴィティを理解しなければなりません。なぜなら、やることが180度反転するからです。苦しいから支援を求めるのか、苦しいからこそ他者を支援するのか。現在の社会の多くの領域で、まず価値が本質として事前に存在し、それを表現して対価を得るということが成立しなくなっています。表現し対価を得ること自体が価値を左右します。そしてそれはこういう難しい時期にこそ顕在化しますので、このコロナ禍はサービスの価値を問い直す重要な機会だと思います。

コラムではこのような内容を明確に書くことに躊躇しました。本当に困っている方々から何を偉そうにと言われるでしょう。そう言う方のためにも、重要なことなので発信しなければいけないと思いました。

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補足

誤解があったようなので補足しておきます。重要なことは、コロナ禍において対応が真逆に分かれ、その判断が逆説的に価値を高めたり、毀損したりしてしまうということでした。このような難しいときだからこそ、それぞれの経営者が自らの価値をどう考え抜いているのかが見えやすくなります。みんな自己破壊をやりましょうという主張ではありません。なぜなら、自己破壊を狙ってやることは不可能だからです。それなら自己破壊にはなりません。

厳密にはこれも正しくなく、戦略的意図のない無条件な自己破壊も不可能です。自己破壊は何かを意図した条件つきにならざるを得ません。しかしそれでも条件つきの自己破壊では自己破壊にはなりません。この不可能性が自己破壊の可能性の条件ということになると思います。すっきりしないですが、これが現実だろうと思います。