Destructured
Yutaka Yamauchi

コロナ禍とデザイン: サマーデザインスクール

京都大学サマーデザインスクールのパネルディスカッションで、コロナ禍という大変革期におけるデザインの意味について自分の考えを説明したのですが、あまりにへぼい説明をしてしまい反省しています。文化のデザインから始めましたが、それなりに説明できたように思います。8年前にデザインスクールを立ち上げるときに、社会の「システムやアーキテクチャ」をデザインするというミッションを掲げました。そのときの説明が社会をデザインするとは言えないので、社会の仕組みをデザインすると言おうという歯切れの悪い言… Read More…

デザインのエステティック

海老田大五朗. (2020). デザインから考える障害者福祉 ―ミシンと砂時計―. ラグーナ出版.

障害者福祉におけるデザインに関するこの本を読みました。障害者のためにデザインするという話しを聞くと、それがどれだけ素晴しい取り組みであっても、どうしても上から目線であることに違和感を覚えます。これは障害者に関わらず、他者が生活し仕事をする環境をデザインするというときに、デザイナーが直面する問題です。だから、最近ではデザイナーは一方的にデザインすることはできないし、そうするべきではないという言説がよく聞かれます。誰でもデザイナーだと言うわけです... これらの言説は、デザインの中にある矛盾を消し去ろうとする身振りであり、欺瞞であると言えます。この本は、この問題を考えさせるひとつのヒントを与えてくれました...
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不便益との違い

学部の授業などで、「闘争としてのサービス」と「不便益」との違いについて、何度か質問を受けました。不便益は学生にはかなり浸透しているようです! ...不便益の議論は、おおむね主客分離の前提で説明できるので、闘争としてのサービスとは理論的には全く違うことを言っていると結論づけることができます。...闘争としてのサービスの視座から不便益を批判することがあるとすると、それはバリアフリーで体力を落とす高齢者の方や遠足のおやつを300円の制約の中で悩む子供を、デザインする...
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俗物

学部ゼミでP. ブルデューに関連する文献を読んでいたのですが、学生がスノッブ(snob)を「俗物」と訳したのがとても興味深かったです。スノッブという片仮名もあまり馴染みがないようです。スノッブは、60年代以前はやはりブルジョワでありエリートを表現す… Read More…

サービスの価値、そしてアート

先日のサービス学会の緊急コラムで書きましたが、少し補足が必要だと思いました。コラムで次のように書きました。ちょっと唐突だったかもしれません。

サービス提供者は,自身が提供する毎に支払いを受け金銭に交換する枠組みからも自由になりつつある.等価交換は社会的関係を負債の残らない形で一回限りで終えてしまう枠組みであり,サービスという関係性の領域においては必然的なものではない.サービスの価値と支払いの関係を創造的に多様化する仕組みを考える余地がある.SNSでレシピを公開しても直接的な収入にはならないが,それはサービスの多様な接点のひとつとして価値につながっていく.前売り券を発行すること,クラウドファンディングで返礼として将来の飲食券を発行することも,興味深いひとつの試みである.また,様々な店が医療機関に弁当を無償で提供している.それぞれの経営が苦しい時に,自分も参加して何か貢献したいという方が多いという.これらはサービスの価値とは無関係ではない…

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